宮崎学園短期大学

学長ブログ

建学の精神を受け継ぐ

2017.10.16

 建学の精神

 私たち一人一人に誕生日があるように、本学にも誕生日があります。それが今日10月12日です。78年前、図書館前に銅像で立つ大坪資秀先生が本学園を創立されました。学校が誕生するとき、そこには創立者の願いが込められています。それが建学の精神です。礼節・勤労という建学の精神は、爾来78年にわたってバトンが受け継がれ、今日に至ります。

  私がこの学園に勤めたのは20代の終わりでした。その頃の私は建学の精神が礼節・勤労だと聞いても、そんなものかと特別の感想は持ちませんでした。しかしその後長い年月をこの「礼節・勤労」とともに歩んで来て、よくぞ、「礼節・勤労」を本学は建学の精神に戴くことができた、ありがたい、と誇りに思うようになりました。なぜ、そう思うようになったのかをお話しします。

  精神を生かす

 建学の精神は額に納まっています。しかし、額に納まっているだけでは生きていません。額から取り出して、どんな味わいがあるか、それぞれが解釈することで、建学の精神は生きてくるように私は思います。建学の精神のバトンを受け取るということは、ただ形だけ携えるということではなくて、その意味、その良さを時代に、社会に生かして解釈していくことが大切だろうと思います。是非、学生の皆さんも礼節は今も大切だろうか、勤労は古くさくないだろうか、議論してください。そのようにして揺さぶられ、批判的に検討されて生き残る精神こそ、建学の精神の生きる姿だろうと思います。

 自分と同じく他人を大切にする(礼節)

 なぜ礼節が大切なのでしょうか。礼儀作法に則り行動すること、節度を保つことです。なぜ大切かは、それがなくなったらどうなるかを想像してみると、分かりやすくなります。例えばコンビニに行って店員さんから、先輩のような態度でいきなり「これとあれは買えよ」と命令されたらどうでしょう?あるいは昔からの友達のようにため口で「これしてよ」と頼まれたらどんな気持ちがするでしょう。そんな店とは、そんな人とは関わりたくありませんよね。他人を大切にする配慮と行動が、社会では必要です。社会人には礼儀と節度(すなわち度を超さないこと、控えめであること)が求められるのです。なぜなら、誰でも自分が大切にされたいと思っているし、大切にされないところには行きたくないと思うからです。礼節がなければ社会は成り立ちません。

 自他共に良しの精神

 しかし他人を大切にするとともに大切なことは、自分を大切にすることです。自分だけが我慢すればいいと、いつもへりくだっていると、自分を犠牲にした分を取り戻したいという気持ちがいつか出てきます。誰にもプライドがありますから、痛めつけられてばかりでは我慢ができなくなるのです。それが、相手へキレることになったり、隠れて意地悪することになったり、全然関係ない人へのいじめや憂さ晴らしになったりするのです。結局人を大切にはできなくなります。自分を好きになって、自分を大切にしましょう。自分を大切にしている人が、人も大切にできます。ですから、「自他共に良し」を目指す人間尊重の精神に立ち、人からの不公平な嫌がらせを我慢したり、見逃してはいけません。自分に配慮し、人に配慮する、人間尊重の精神、これが私たちの礼節です。大切な考え方だと思いませんか。

 世のため、人のため働く、学ぶ(勤労)

 勤労について考えてみましょう。一生懸命働くのは何のためでしょう?生活のため、お金を稼ぐため、それもあるでしょう。しかし生活のため、お金のためだけに働いている人は、それで十分な満足は得られないでしょう。なぜなら、生活やお金を超える、大きな目的と仕事がつながっていないからです。大きな目的とは、使命感です。何かのために働くという、「より大きな目的」です。それがなければ、仕事の効率を上げたいと思わないでしょうし、自分を成長させたいとも思わないでしょう。時間だけ働いて、お金をもらえば満足です。働く「より大きな目的」とは何か。それは、世のため、人のため働くということです。自己満足でなく、より多くの人の満足のために働くことです。それが人生の生きがいになります。

 「ありがとう」「どうぞ」

 周りを見渡してください。この世界は、人々の勤労で成り立っています。私たちが着るもの、手にする物、食べる物、この社会、読む本、聞く音楽、見る映画、私たちの生活を成り立たせている物、すべてが他人の勤労のお陰です。そう考えるこの私たち自身でさえ、多くの人の間接、直接の影響で成り立っています。人々、社会のお陰で今の私たちがあります。

  働くとは、この世を支えていくこと、そのお陰で私たちは生活の糧が得られるのです。私たちの収入は私たちの社会への貢献に対する、社会からのお礼、「ありがとう」なのです。自分が何をすれば、人に貢献できるのか、世のためになるのか、模索してください。あなたの周りに、自分が貢献できることがあるはずです。大きな貢献でなくても、例えば、周りの人に「ありがとう」を言うとか、「どうぞ」と言うのも貢献です。あなたの言葉に救われる人はいるはずです。レジのアルバイトをして、お客さんから「ありがとう」と言われてうれしかったから、自分も「ありがとう」を言うようになったと話した学生がいました。

  さらに自分を成長させて、より多くの人に貢献できるように、あるいはより深く人に貢献できるようになってください。そのためには勉強とつらいことや挫折を乗り越えていく経験が必要です。様々なことにチャレンジできるように、自分の中に小さな自信を育てていくことを忘れないでください。

 蟻の眼と鳥の眼で見る

 人に貢献するときに、忘れないでほしいのが、「蟻の目で見ることと鳥の目で見ること」です。蟻のように地を這いながらきめ細やかに、人の気持ちに繊細な感受性を持つこと。そして敏感に配慮できることは大切です。

  しかしいつも相手の目を窺って、気に入られよう、嫌われないようにしようとしていたのでは、本当の人への貢献はできません。もう一方で突き放した物の見方、鳥のように高い空から見て、相手がどうなることがその人の幸せかを見る目が大事です。

  例えば幼稚園に実習に行くと、園児達は優しい実習生のお姉さんが大好きです。何でも言うことを聞いてくれるからです。昨日まで先生に言われて自分で止めていた上着のボタンを、子供達が「先生ボタン止めて」と実習生に寄ってきます。ボタンを止めてほしい園児の気持ちはよく分かります。それは蟻の目で見えることです。しかし鳥の目で見ると、園児が自分でボタンが止められるようになることこそが大切であり、幸せであり、自分への自信につながることが見えてきます。目の前のことだけに目を奪われず、遠い将来への道筋がしっかり見えるようにならなければ、人への本当の貢献はできません。

 本当の貢献

 ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)に捕まる人がいます。なぜ暴力を振るう人と付き合うのでしょうか。暴力を振るう人は相手を「自分の物」のように支配したいと思っています。持ち物を調べ、メールをチェックし、自分に忠誠を誓わせます。言うことを聞かないときは暴力で言うことを聞かせようとするのです。別れようとすると、泣きながら謝るのです。「お前がいなければ生きていけない」と哀願します。その言葉を聞くと、この人には私が必要だと思い別れられないのです。

 自分に自信が持てない人、自己肯定感が低い人は、誰かに必要とされているということに自分の居場所を見つけてしまいます。たとえその相手と別れても、また同じような人と付き合ってしまうと言われています。誰かの役に立っていたとしても、それで本当に自分も相手も幸せになれる道なのかを、鳥の目になって、つまり高いところから俯瞰して見る必要があります。

 礼節・勤労という建学の精神は、社会人としての基本ですが、奥が深いのです。人間としてのあり方、生き方についていろいろ考えさせてくれる有り難い建学の精神だと思うのです。

 校歌

 校歌に目を向けましょう。

 「集ひきてけふこそ学べ 若きわれらの夢ははるけし」

 世のため、人のために貢献できるよう私たちは集うた。私たちのまなざしは遙か向こうを見つめつつ、今日も学ぶ。

 「人らしき人にあるべく 若きわれらの道はけはしき」

 自他ともに向上を求め、失敗や挫折を乗り越え私たちは人間修行に励む。

 「よき友に会ひて語らん 若きわれらの花は友垣」

 ともに学ぶ、我ら学友、巡り会えたことに感謝し、互いを甘やかすことなく、切磋琢磨し未来を築いていこうではないか。

 

  この忍ヶ丘での日々が、皆さんにとって、かけがえのない人生の一頁になることを願っています。

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